8月17日(水)

 昨晩、村上製材所の村上富夫社長(陸前高田市復幸応援センターの看板を寄贈してくれた人)の家で夕食をご馳走になりました。もう3度目です。復幸応援センターのメンバーは、皆、図々しいのかもしれません(笑)。テレビ朝日報道ステーション)のスタッフ3人も一緒でした。村上社長は、「高田松原の松」を形として残したいと思い、流木を製材し、看板にして我々に寄贈してくれたり、携帯ストラップや木製の通行手形を作ったりしています(写真参照)。世間を賑わせているセシウム問題が食卓でも話題に上がりました。世界の目でみれば、陸前高田も京都も同じ日本であります。大騒動になればなるほど、海外のマスメディアでも取り上げますので、日本全体のイメージが低下します。狭い日本の中で、このような問題が大きく取り上げられることは日本人として恥ずかしく思います。一方、報道されておりませんが、いいニュースもあるのです。長野県の善光寺が、「高田松原の松」で作った通行手形を村上社長に1000個注文してくれていたそうですが、騒動後も、注文をキャンセルすることはなかったそうです。こういう素晴らしいニュースを報道して欲しいものです。テレビ朝日のスタッフはひまわりを取材に来たそうです(8月8日のブログ参照)。塩害の被害を受けた田畑にひまわりを植え、塩分を抜き、そしてお米を収穫出来るようになるまでずっと取材を続けるとのことでした。皆さんもこのストーリに注目して下さい。



 本日から小中学校が始まりました。東日本大震災が学校の新学期にも影響が出ております。ただ、嬉しそうに学校に通う小中学生の姿を見ると心が和みます。

 一方、仕事の方ですが、本日から復興イベントの入場券と地域通貨券を陸前高田市民に配り始めます。自治体ブース(25自治体参加)の申込を未提出のところも若干あったので、センター長の私だけがオフィスに残り、再度、お願いをすることになりました。他の3人は、陸前高田市職員や観光物産協会の方々と一緒に配布の手伝いをしました。
 
 今日は孤軍奮闘だったのですが、色々ありました。まずは、黄川田徹衆議院議員が尋ねて来られました。私は一度東京でご挨拶していたのですが、本当に義理堅い方です。黄川田先生は陸前高田市出身ですが、行方不明になっていた奥様が11日にDNA鑑定で身元が確認されました。今回の津波で、ご両親、奥様、ご長男、秘書を失くしました。娘さんと仮設住宅に入ったそうです。公私にわたり大変な状況にも関わらず、労いの声を頂き、恐縮してしまいました。また、松阪市から田中祐治議員が奥様と応援センターを訪れました。明日はご夫婦でボランティア活動をするとのことでした。本日は27日・28日の陸前高田市の復興イベントに向けて、準備に追われた一日でした。


復幸応援センター長
小林益久