ふるさとは遠きにありて思ふもの

私が使わせていただいている生出の宿舎、先週の土曜日から4日間、お水が出ませんでした。

「この辺は寒いから、毎朝毎晩水落とししてね〜」との前任者・竹内さんの教え通り、家中の水道という水道の水抜きをちゃんとしていたのですが、強烈な寒波の繰り返しのせいか、あっさりと凍ってしまいました。


その間、私はやかんやお鍋を抱えて隣の棟にお水を分けてもらいに行く日々。

日曜日には、どうしてもお風呂が沸かしたくて(ひっとするとお風呂を沸かした熱で凍っている部分が解けてお水がでるかもしれないし)、台所にあった空の一升瓶3本を抱えて、吹雪の中、お百度参りのように隣との間を行ったり来たり。

「水汲みに片道何時間…」というナレーションのCMを子どもの頃に見た記憶があるのですが、まさにそんな感じで、数十回往復してお水をため、なんとかお風呂を沸かしました。

往復している間、川向いの住人の方が雪をならす作業をされていたのですが、一升瓶を抱えて何度も往復している私を見て、「何やってんだろう?」と不審に思われているんだろうなと感じつつ、背に腹はかえられず、頑張っちゃいました。

その後も毎日もらい水をしてやり過ごしていたのですが、火曜日の午前中、事務所に来られた伊藤市議会議長さんにそのお話をすると、

「そりゃ困ってるでしょ。業者呼ばなきゃダメだよ。電話してあげようか?」

と、お知り合いの水道業者さんに連絡してくださり、午後、早速工事に来てもうことができました。


結論から言うと、各蛇口につながっている水道管ではなく、水道メーター本体とそのそばの止水管そのものが凍っていました。

最初に室内の水道の状態を確認した水道屋の社長さんも、「うん、ちゃんと水抜き出来てる。完璧だ」と言われたように、教えどおりにきちんとやっていたんです、水抜き。

なのに凍ってしまったメーターたち。





【ピンぼけしていますが、完全に凍っています】




「こんなの何年かぶりだ〜」と社長さんも言っていましたが、今年特別寒かったのが影響したのと、この宿舎自体が10年くらい使われていなかったので、後で見せてくれた止水管は錆びてしまって今にも破裂しそうなヒビが入っていました。

「原因として考えられるのは、雨どいからの水がメーターボックスの方に向かって流れてるから、その水で冷えて凍っちまったんだと思うね。あっちの棟はここみたいに雨どいからの水の直撃を受けなかったら大丈夫だったんだ。まあ、こっちを選んだのが失敗だったってこと(笑)」

選んだのは私じゃないんですけどね・・。(泣)

凍ったメーターを解かし止水管を交換した後、パイプをつないで、雨どいの水がボックスの方に流れ込まないようにする工事も一緒にしていただきました。

ありがとうございます!!

こういう経験をすると、普段、簡単にお水がでることのありがたみをしみじみと感じます。

そして、いろんな方に助けられていることや出会えることのご縁も。

水道屋さんを紹介いただいた伊藤議長さんにも感謝感謝です。




水道屋さんから、「こうなってしまったらちょっとやそっとじゃ解けないんだから、すぐに電話しなきゃダメだ。気が長いんだか抜けてるんだかわかんないけど、ちゃんと言わなきゃ」って言われちゃいました。

前にもどこかでこんなこと言われたことがあるような気がするんですが、私、抜けてるんじゃなくて、気が長くて我慢強いんです。(そういうことにさせてください)




工事をしてもらっている途中、近所のおばあちゃんが前を通りがかり、社長さんと立ち話をしていきました。

その様子を眺めていたら、従業員さんが「何言ってるかわかります?うちら地元の人間でも何言ってるかわかんないですよ」と言うように、二人とも地元の言葉(「ケセン語」って言うんですよね?)で話していて、なんとなくのニュアンスはわかるのですが、正確な言葉はほとんどと言っていいほど聞き取れませんでした。

でも、好きです、こっちの言葉。

なんだか妙にハマってしまっています。

なんとなく郷愁を誘うというか、ものすごく愛着のわく感じがたまらなくいいです。

石川啄木の『ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きににゆく』という短歌がありますが、二人のやり取りを聞いていて、ふるさとの言葉が聴きたくなって駅まで出かけていってしまう気持ちがわかる気がしました。

高田松原にあった石川啄木の歌碑も津波で流され、未だ見つかっていません。できれば見つかって欲しいです)




先日行われた『子どもたちに山車を贈ろう!贈呈式』においても、株式会社マイヤの米谷社長が「郷愁は持ち続けなければならない」と、陸前高田で900年続く七夕祭りを復活させ、ふるさとを想う気持ちや子どもたちの夢を明日へとつなげていきたいと語っていました。

私の地元、愛媛県新居浜市でも、盆正月には帰らなくても「新居浜太鼓祭り」(毎年10月開催)には必ず帰る、という人が多いです。

こちらの生活にもずいぶん慣れ、派遣期間の残りが短くなってくると、帰りたくないような気持ちもわき起こってくるのですが、昨日、スーパーに寄って、柑橘コーナーに「愛媛県産」の文字を見て、思わず写真に撮ってしまっていました。









しかも、柑橘類は苦手なのに(私も生粋の愛媛産ですが)、買っちゃいました。







【ポンカンとオレンジをかけあわせて生まれた愛愛柑だそうです】





こういうのも郷愁の一つなのでしょうか。




火曜日以降、お水も毎日きちんと出て、快適に過ごせています。

実は火曜の朝一番に、全国青年市長会事務局に電話をかけてしまいました。

遠くにいながら、私たち現地特派員のために奮闘していただいている事務局。

ありがとうございます!!

皆さん、ご存知ないかと思いますが、この方です。

ご紹介します。愛媛県四国中央市、古東圭介さん!









古東さん、請求書届きました。










ありがとう!陸前高田

越智 美保(愛媛県新居浜市