遠い異国の地から復興に願いこめて・・・・

 7月頭から派遣されて、あっという間に8月31日になり、私の2ヵ月間の派遣期間が終了しました。
思い起こせば、6月末に初めて東北の地に足を踏み入れた時、最初は津波の影響を感じさせない景色が延々と広がっていたため、もう復興しているんだと勘違いから始まりました。しかし、陸前高田の地に足を踏み入れ、仮の市役所を越えて坂の上から旧高田の街を見渡した時、それが勘違いだとすぐに気付きました。
広い平野には草が生い茂り、ところどころ、瓦礫が積み上げられているだけで、他には何もありませんでした。本当に何もありませんでした。ただ、至るところに人が住んでいたような形跡があり、それがまた虚しさを助長しました。まるで、映画の1シーンに迷い込み、バーチャルな世界に自分は迷い込んだような錯覚を覚えたことを今でもはっきりと覚えています。








現在の陸前高田市内の状況


 今回、私は陸前高田の様々な人と関わりをもつことができ、いろいろな話を聞くことができました。震災時のお話、震災後のお話等・・・。時には、すごく辛い話も聞かさせていただきました。友人が流された話、家族が流された話、いまだに行方不明で遺体が見つからないなど・・・。
その中でも、一番、私が印象に残っているお話は、陸前高田のボランティアセンターで職員の方がボランティアに来られた方にされていたお話です。ボランティアに来られる方はおよそ、被災していないと思われます。そんな被災していない人間にとって、震災からすでに1年と約半年が過ぎ、少しづつ復興しつつある状況なので、被災された方に「大変でしたね」と過去形でついつい話をしてしまうことがあります。しかし、被災された方にとっては今も大変な状況なのです。もちろん、被災時に比べれば、格段に生活水準は改善しています。しかし、それでも現在でも多くの方が狭い仮設住宅で不自由な生活をしている状況を考えれば、決して過去形で済まさせるようなことではないというお話です。この話は、私自身 今まで考えもしなかったことなので、最初聞いたときは衝撃でした。そして、この話を一生忘れることはないでしょう・・。


 また、今回、陸前高田では現地の人ばかりでなく、多くのボランティアに来られた方ともお話をすることができました。南は九州の鹿児島から北は北海道の北見まで・・年齢層も下は高校生から上は定年を過ぎ、仕事を退職された方まで、多い時は1日に400人以上の方がボランティアに参加するために、陸前高田に来られていました。
そんな多くのボランティアに来られる方の気持ちはひとつ!!大きな力にはなれないけどほんの少しでもいいから現地のお役に立ちたい!! そんな人が全国にたくさんいると思うだけで、なんだかすごく暖かい気持ちになりました。


 今回、私は現地に絶対に何らかの足跡を残してくる、という意気込みで現地にやってきました。しかし、1ヵ月が過ぎた頃、ある人から復興支援って言うけど実際に何をやっているのか?と聞かれた時、正直言って何も答えることができませんでした。そして、2ヵ月が終了した今でもその質問に明確に答えることができません。
しかし、この2ヶ月間で経験したことは、1つ1つどれをとってもすべてが貴重な経験であり、私の財産です。この経験は、これからの自分の人生にプラスに働くと思いますし、プラスにして今後の人生に活かしていかなければらないと思います。そして、何より我々復幸応援センター職員の一番大きな使命は、震災からどれだけ年月が過ぎようとも、陸前高田のこと、そして被災してこんなひどい状況だったということをみんなが忘れないように語り継ぐ・・・これが、我々現地に行かしていただいた人間の使命だと思います。自分ができることはこんな些細な事しかできませんが、自分が現地で見たこと、感じたことをより多くの人に語り継ぐことでそれがやがて大きな力となり、復興のお役に立てる・・・そんなことを願っています。


最後になりましたが、
いつも温かい目で我々復幸応援センターを見守ってくださった村上社長及び村上製材所の皆さん、いつも日付が変わる頃まで一緒に飲み、時には生出の宿舎までわざわざ来てくださった矢作小の黄川田校長・佐藤先生、ラジオで何度もお世話になったAid Takataの皆さん、子育て支援施設きらりんきっずの皆さん、その他、私と関わりを持っていただいたすべての方、本当にありがとうございました。みなさんと出会えたことが私の宝物です。陸前高田のこと、決して忘れません。


また、この2ヶ月間、朝から晩まで同じ屋根の下で寝食を共にした、復幸応援センター職員の皆さん、本当にありがとうございました。私にとっては、生まれて初めての共同生活を楽しく過ごすことができたのも全てセンターの皆さんのおかげです。良き兄貴分としていろいろ教えてくださり、なおかつ豪快な料理をいつも作っていただいた百合さん、年下ながらしっかり者、そしてルームメイトとして毎日夜遅くまで宿舎で語りあった新井田君、一見すると真面目くさい感じ・・でも実は誰よりもすごくお茶目で気さくな川合さん、そして、いつもおいしい料理を作り、みんなを感激させ、また時には天体及び虫等さまざまなことを教えてくれた平成のうんちく王・・じゃなく・・雑学王の三品さん、その他、短期派遣で知り合った、大倉さん、甲田さん、久富さん、石本さん、伊藤さん、橋本さん、山本さん 本当にありがとうございました。
何年後かに、復興した陸前高田でまたお会いしましょう!!



8月最後のメンバー 宿舎の前にて
左から 三品(網走市) 川合(松阪市) 桑原(関市) 山本(玉野市


陸前高田市復幸応援センター前にて



復興のシンボル ひまわり


そして、この復興のシンボル、ヒマワリのように陸前高田が元気に復興することを遠い異国の地から願っています!


桑原 健(岐阜県関市)