ピンクの自動車

 タクミ印刷(有)さんが発刊した「未来へ伝えたい陸前高田」という保存版写真集があります。想い出の陸前高田の風景、3月11日の衝撃的な写真、津波の爪痕、被災前・被災後を比較できる定点撮影の写真などがぎっしりと詰まっています。

 11月3日の文化の日に、陸前高田市の米崎町の箱根山の中腹にある気仙左官大工伝承館などを会場として、子育て支援イベント「たがだのわらしBa」が開催されます。地元の市民団体が集まってできた「地域子育て創生事業実行委員会」が、子どもたちやお母さん、お父さんのたくさんの笑顔を取り戻そうと企画したイベントです。ご縁があって、全国青年市長会も準備や運営のお手伝いをさせていただくことになりました。
 昨日、市内の集会所での実行委員会に初めて出席しました。市民の力で開催するイベントですから、当然ながら実行委員会のメンバーも被災者です。被災前なら普通に持ち寄れた道具類も、みんな流されてしまいました。ひとつひとつのことが、なかなか思うように決まりません。それぞれ、生活の立て直しで精一杯の中での話し合いです。
 打ち合わせで、細かな事を詰めようとすると、どうしても話が今の生活の不便さの事に繋がっていきます。どう工夫すれば、以前の生活に少しでも近づくかの情報交換になります。どれも切実な問題です。私だけが門外漢です。不便だと感じている生出山の麓の宿舎生活も、この人達にとっては贅沢なものでしょう。
 話の途中で、テーブルの上にあった写真集、「未来へ伝えたい陸前高田」の話になりました。すると、まだ知り合って間もないMさんが、「これに私のピンクの車が載ってるんです」と切り出しました。津波が来るということで、慌てて携帯電話だけを持って、高台の病院まで逃げたそうです。高田小学校の近くに止めてあったピンクの自動車は、引き波で持っていかれて次の波で隣の米崎町に流され、写真集に掲載された写真の中央に収まる結果となりました。とにかく、探して探して探し歩いてやっと見つけ、免許証などは確保できたそうです。今もまだ同じ場所にあるそうです。
 被災された方の津波の時の話は、なかなか、面と向かって話を聞かせていただくことはできません。けれども、今回のように、一緒に何かをしているとき、津波とは全然関係ないような事に取り組んでいるときなど、普段の生活ができるようになった安堵感から、大変な思いをした「あの時」のことを、少し話してみたくなることもあるのかな?と感じたひとときでした。
 みなさんの以前の生活が一日も早く取り戻せるよう、少しでもお力になれたらと思います。
大西賢治四国中央市