ありがとう

  7月31日の早朝に松阪を出発してから、3ヶ月近く経とうとしています。季節は夏から秋に移り変わりました。松阪にいたときから、3ヶ月は長いようで短いだろうなと思っていましたが、実際その通りでした。8月1日に、高田松原の流木から作った「陸前高田市復幸応援センター」の看板を寄贈して頂いた村上製材所の村上富夫社長(陸前高田市で最もお世話になった人です)に出会いました。その晩、夕食に招かれましたが、「遅いよ。今さら何しきたの?」との一言が私の胸に突き刺さりました。自衛隊は退去し、ライフラインも復旧し、仮設住宅への入居も終盤に差し掛かっていました。一番大変な時期に来ないで、今からどのような形で陸前高田のお役に立てるんだろうかと不安になりました。ただ、復興には10年はかかると思っていましたので、自分が出来ることが何かあるんだろうと信じ、まずは市民から被災地のニーズを引き出すことから始めようと思いました。ただ、被災地に受け入れられのは決して容易ではありません。目線を被災者に合わせ、1人1人との出会いを大切にして、そこから人の輪をつなぐことにより、自分の居場所を見つけようと努力しました。


  復幸応援センターのメンバーは各々の得意分野や独自のネットワークを活かした個性的な応援活動をしてくれました。陸前高田に居た証を残したいと派遣市と陸前高田市を結ぶ活動を一生懸命してくれました。とにかく、陸前高田に人が集まり、お金が落ちなければ、応援にはなりません。陸前高田の応援グッズを地元のイベントや職員に販売したり、ボランティアを募り、被災地の現状を見てもらいました。これまでに派遣された4つの市で、応援グッズの売り上げは100万円を突破しました。1年後には、他の市にも働きかけ、1000万円を突破させたいと思います。また、陸前高田の様子をブログで情報発信していたら、首相官邸からも協力を要請されました。更に、日本初のコミュニティー・カンパニーの発足や資金、人、モノの調達に尽力することが出来ました。8月27日・28日の「陸前高田市復興街づくりイベント」では、1万7500人の方に集まって頂き、陸前高田の市民に楽しんで頂きました。松阪に帰ってから成果と課題をきちっと報告したいと思いますが、細くても長〜い支援が必要だと思います。私の任務はこれで終わったとは思っておりません。松阪に帰ってから、東日本大震災を風化させない活動をしなくてはならないと思います。高田松原の流木で特注の募金箱を作って頂きましたので(写真参照)、松阪の市民力でこれを一杯にして、また陸前高田に持参したいと思います。本当にたくさんの陸前高田の市民の皆様に出会い、私の方が勇気を頂きました。本当にありがとうございました。そして、私と一緒に「生出」の宿舎で苦楽を共にした深田さん、大西さん、高橋さん、田崎さん、金坂さん、栗原さんにも感謝申し上げます。「がんばっぺし 陸前高田!」。

小林益久(松阪市