初・出張開催!第18回ランチミーティング In 小友

 何度かこのブログでもご紹介している「ガレキーホルダー」を制作しているENproject japanの中田源さんたち。
 21日付のブログでの約束通り、今回は小友のガレキーホルダー制作現場にお邪魔いたしました。
 小友町の高台にある築90年の古民家こそが、全国に陸前高田の思いを伝えるガレキーホルダーの制作拠点なのです。

【ガレキーホルダー作業所】
 
 作業所からは小友町の津波浸水地域を見下ろすことができます。
 この辺りは、西の広田湾、東の太平洋に挟まれた半島の付け根部分の低地で、津波が東西から押し寄せ、衝突した津波から水柱が立ち上がったのが見えたそうです。
 津波の痕跡は今なお残り、瓦礫の山もいつ消え去るのかわかりません。
 しかし、その瓦礫の山こそ、陸前高田で生活していた人たちの証であり、ガレキーホルダーの材料が眠っている山なのです。

【作業所から見る小友町】
 
 我々復幸応援センター職員が訪れたのは正午前。午前の作業を片づけ、昼休みに入ります。
 今回は新企画、初開催の‘出張’ランチミーティングです。
 熟女の皆さんも大勢の来客に大喜びのご様子。昼からアツアツの焼肉や自家製の漬物で歓待。
 おもてなしを受けながら、熟女の皆さんと懇親を深めることができました。

【出張!ランチミーティング
 
 午後は我々も作業を体験させていただきます。
 小さなガレキーホルダーですが、瓦礫の洗浄から解体、成形、穴開け、結合、判子押し、包装まで、それぞれの工程を手分けして作業します。
 さすがに熟練の4美人、手慣れたもんです。それもそのはず、4人は広田町に住む知り合い同士で、震災前は手先の器用さを活かして縫製工場で働いていたそうです。そのうち3人は姉妹とのこと。息が合うのも頷けます。

【手際のよい4美人】

【洗浄作業中】

【解体、成形作業中】
 
 4美人の皆さんは、8月後半から従事し、朝9時から午後3時まで、多い日には1日400個ほど制作するそうです。我々やNHKスタッフがお邪魔したにもかかわらず、この日も400個近くを作成。手先の器用さと、形や色を組み合わせるセンスに感心しました。
 4美人は津波で家を失い仮設住宅にお住まいですが、それを感じさせないほど、とても楽しそうにいきいきと働いています。
 ガレキーホルダーは、全国に陸前高田の想いを伝え、全国から陸前高田にお金を呼び寄せると同時に、住民に雇用と生きがいを与えてくれるのです。

【出荷を待つガレキーホルダー】
 
 我々も制作を体験することによって、ガレキーホルダーの意義や魅力を実感することができました。
 中田さんをはじめスタッフの皆さん、ありがとうございました。
 自分で作った、たった一つのガレキーホルダーを大切にします。

【前列の女子:左から鈴木さん・吉田さん・畠山さん・村上さん、後列中央が中田さん】
 
 さて、私(須長)は29日をもって陸前高田での任期が満了となります。3週間という期間は、何事かを為すには余りにも短い期間でした。
 一方、陸前高田の復興には8年とも10年とも言われる、余りにも長い時間が掛かります。
 私が滞在した時間は短くとも、陸前高田の多くの魅力を発見することができました。なにより、前向きな人々がいます。
 ある方が「津波に負けてしまったんだから、上を向いていくしかない」とおっしゃっていました。
 必ずや陸前高田は再生します。
 全てを失ったからこそ、これまでになかった、どこにもなかった、最先端の理想都市を住民の皆さんが創り上げていくと確信しました。
 
 足利から2ヶ月にわたり派遣された、金坂、栗原、須長の「三本の矢」はここで役目を終えます。しかしながら、思いは陸前高田にあります。
 今後は、茅ヶ崎市の若林さん、稲城市の村井さん、そして登別市の竹内さん、この三本の矢が陸前高田の復興に向けて邁進することでしょう。
 
 短い間でしたが、陸前高田の皆様には大変親切にしていただき、ありがとうございました。
 必ず戻ってきます。
 生まれ変わった陸前高田をこの目で見るために。

【氷上山から見る陸前高田市
 
須長敏明(足利市