高田人形

 相変わらず厳しい寒さが続いていますが、日差しの温かさを感じる瞬間があり、少しずつではありますが、厳しい冬も終わりつつあることを肌で感じています。



 私が陸前高田市の郷土玩具に興味を持ち、色々調べる中で、過去に「高田人形」という郷土玩具があったことを知りました。高田人形は、土に和紙を混ぜ乾燥させた人形で、赤い着物に梅の花が特徴、名工で有名な気仙大工が出稼ぎ先で作り方を学び郷土に持ち帰ったことが始まりだそうです。
 しかし、時代の流れと共に作られなくなり、昭和30年ころには絶えてしまったとのことです。

 高田人形を一度見てみたいとインターネットを調べたところ、陸前高田市の大町商店街で毎年開催されていた「雛めぐり」で高田人形が展示されていたことを知りました。
 また、民俗文化に詳しい方を探していたところ、郷土史誌を数多く出版されていた「高田活版」の佐々木松男さんとお会いさせていただき、高田人形や首ふりべえこ等の郷土玩具の話をさせていただきました。その中で、ご子息の佐々木高志さんが、昨年の雛めぐりの写真を撮っていらっしゃいました。その写真には、大事に受け継がれてきた多くの高田人形が映っています。こうなれば、是非本物を見てみたい。と思いましたが、写真に写っていた人形をお持ちの方も被災された方が多く、あまり残っていないのではないかとのことでした・・・。



【写真提供:佐々木高志さん】


 そこで気仙大工発祥の地、小友町にある「気仙大工・左官伝承館」に手がかりを求め、お伺いしたところ、案内人の武蔵さんがご自宅にお持ちとのこと。是非見せていただきたいとお願いし、後日拝見させていただきました。素朴だけれど、大切に人形と遊んでおられた武蔵さんの優しさが伝わってきます。








 陸前高田市には、市立博物館がありました。東北で最初の公立の博物館として、人文系資料から自然系資料まで14万点を超える資料を所蔵されていたそうです。
 この博物館も甚大な被害受け、職員の方もお亡くなりになりました。


【現在の陸前高田市立博物館】



 今は被災した膨大な資料の修復作業が行われています。修復作業所である米崎中学校に訪問しました。
 海水と汚泥に使った資料はカビ等が発生するなど状態が悪く、修復作業に着手するまで、他都市の冷凍倉庫で保管されています。
 書籍等の修復はまず、脱塩作業から始まり、塩分等を真水で何度も洗い、1ページ毎に紙を挟み水分を取り除くそうです。膨大な資料を前に1つずつ丁寧に作業をされています。
 また、貝と海のミュージアムの所蔵品である貝類については、その名前を判別する作業を行っています。膨大な資料と延々と続く緻密且つ地道な作業、いかにその作業の大変かを思い知らされました。
 またこれらの作業は、「文化財レスキュー」という事業で、全国の博物館でも修復作業が行われているそうです。





【脱塩作業】



 私が学芸員の方に、高田人形を探しているという話をすると、博物館で唯一残った高田人形があるとのこと。地元の新聞社の方が取材に来られるということで、一緒に見せていただけることになりました。
 土人形はそのもろさゆえ、海水に溶け出し大半は原型をとどめない状態の中、1体だけ奇跡的に残ったそうです。
 とても素朴な人形なのですが、子供たちはこの人形を毎年買い集めるのが楽しみだったと聞きます。
 今まで博物館や、雛めぐりで簡単に見ることができた「高田人形」。今後どのような形で保存され継承されていくのでしょうか。


【高田人形の特徴である赤い着物と梅の花の模様が見て取れます】



【大半の高田人形がこのような状態です。】



 文化はいわゆる地層のようなもの。幾重にも重なりその基盤の上に今の生活文化があるといえます。都市としてのアイデンティティを失うやもしれない文化的損害をこの町は受けています。文化は目に見えるものばかりではありませんが、先人たちが長い年月にわたり受け継いできた文化復興も町づくりと同じほど需要な課題であるように思います。
 修復された文化の上に、新たな文化を積み重ねることができる日が一日でも早く訪れることを願ってやみません。




【倒壊した彫刻(陸前高田駅前ロータリーにて)】



中谷 俊也(金沢市