笑顔いっぱいの陸前高田になることを・・・

太田ほほえみ会にご挨拶に行ってきました。
以前お会いしたときより、ずっと素敵な笑顔と出会えてほっとしました。
これからもずっと、ずっとお元気で!
佐久で"布ぞおり"の出来上がりを楽しみに待っています。
また素敵な笑顔を見せてください。
必ずまた伺います!






信州佐久市から飛来して、2ヶ月。
「自分に何が出来るのだろうか」自問自答しつつ、「未来へ伝えたい陸前高田」写真集2冊を抱え、まずは市内の現場に向かいました。
そこには、瓦礫の山と何もなくなってしまった街並みにただ、ただ愕然とするばかり、ここからいったい新たな未来に向かおうとしている陸前高田の為に、更にいったい私に何が出来るのだろうかと悲痛な面持ちになったことを昨日のことようにはっきりと覚えています。


【右手前/陸前高田市役所 写真奥は広田湾】


そして、次に向かったのが”人”でした。
当たり前のことですが、普段からルールをルールどおりに行うことに徹してきた私自身。ある方とお話をした際に「行政がすることなんか待っていたら、陸前高田の人はみんないなくなる」と聞かされた時、更にショックを受けました。
それから数日、臆病になり身動きが取れなくなった自分でしたが、「一本松のがんばっぺし!」のポスターを見て
「所詮、何のとりえもない非力な男。不器用に徹して、自分に出来ることを
”動く”ことでいこう!」と思ったとき、何となく肩の力抜けました。



 それからは、出会いとご縁を無駄にすることのないように、自分にできることを地元佐久市の皆さん、先人の栗原さん(足利市)など、大変多くの皆さんのご理解とご協力を得て、支えて頂きながら、今日まで動きをとることができました。本当に感謝しております。ありがとうございました。



【2ヶ月お世話になった教員住宅】


 毎日、毎晩と言っていい程、雪が降り、怖いぐらいの音を立てて風が吹き、氷点下の中での生出(おいで)の共同生活。水道の凍結、どんなに入って出ても体が温まらない風呂。温室栽培を思わせるようなビニール張りした自室。3人6畳1間で酒を酌み交わしながら時には、意見が平行線のことも。いつもお世話になっているとある方のご厚意による食卓を囲んでの復興ミーティングなど、沢山の体験をさせて頂きました。これらの貴重な経験を通じて、陸前高田はしっかりと前を向いて進んでいることを肌で感じているなかで「見る」と「観る」では全く違うなと改めて実感しました。


【生出(おいで)の今朝(2/28)の気温です!!】



私がこの陸前高田で動きを通して行ってきたことは、"努力"という言葉と同じで、即効性のないことばかり、しかし、陸前高田で観たこと動いたことの足跡は絶対に無駄にはならないと信じています。まだ、まだスタートしたばかりのちっぽけな”きっかけ”が、多くの人の輪と想いとが太い絆となり、人や物、文化や経済と様々な交流が生まれ、陸前高田との強みとなってくれればと願いつつ、この地をあとにします。


陸前高田入りから履いた靴も・・・】



前を信じて進もう! 陸前高田

がんばっぺし! 陸前高田

ありがとう! 陸前高田

清 水 淳 一 (佐久市)