たしかなこと

7月2日から始まった私の復幸応援センターでの活動も、いよいよ最終日を迎えました。


この1ヶ月を振り返れば、本当にあっという間でしたが、「限られた時間の中で、いったいどんな支援活動ができるのか?」という悩みに真剣に向き合った1ヶ月でもありました。
一人でも多くの陸前高田市民の皆さんとお会いし、ココロの通じ合う取り組みがしたいという思いで、走り続けた1ヶ月。どれだけの人にどこまでの支援ができたのか、正直わかりません。いま、私のココロの中には、「ここまでやれた」という充実感と「もっとやれた」という後悔の気持ち、その両方が存在しています。



【氷上山から見た市街地】



このまちに来て、たしかなことが2つありました。


ひとつは、ここ陸前高田の復興の兆しが少しずつ見え始めてきているということ。
いま、このまちは大きく変わろうとしています。
同時に、昔からある陸前高田の歴史や文化、人々がこのまちで営んできた暮らしは今も脈々と息づいています。


もうひとつは、ここ陸前高田で、多くの人たちに出会えたということ。
被災マツを使った表札づくりを通じて出会えた製材所の社長さん、おかみさん、そして従業員の方々。
汗だくになりながら、“タネっこまくべえプロジェクト”の一環として栽培されたヒマワリの移植作業を通じて出会えた元市議会議員さん。
軍手の提供を快く受けていただいた災害ボランティアセンターを支える事務局の皆さん。
本の仕分け作業を通じて出会えた図書館職員の皆さん。
このまちの実情や裏話など貴重なお話を聞かせていただいた小学校の先生方。
災害FMのラジオ番組出演がきっかけとなり、その後も交流をさせていただいた災害FMのスタッフの皆さん。
このまちに対する思いが誰よりも熱く、強い、観光物産協会の職員さん。
センターに来てからのデスクワークのひとつでもあった市内飲食店の取材を通じて出会えた店長さん、そして従業員の方々・・・。


私は、皆さんの復興に対する誇りと情熱、そしてその飾らない笑顔に、パワーをいただき、何度も救われました。


そして、この1ヶ月間、右も左もわからない私をいつも支えていただいた復幸応援センター職員の百合さん、桑原さん、大倉さん、甲田さん、石本さん、久富さん。
いつも笑いが絶えない職場で、同じ思いを持って、皆さんと仕事ができたことをうれしく思います。


この場を借りて、お世話になったすべての方々にお礼を申し上げます。



私は、明日陸前高田を離れますが、この絆を大切にして、これからも陸前高田を応援し続けていきます。本当にありがとうございました。



【復興のシンボル ヒマワリ】



新井田篤志(北海道網走市)