隗より始めよ


7月23日から始まった私の陸前高田市復幸応援センターでの活動も、本日をもって任期満了となります。
九州の遠い地に住んでいるせいなのか、自分自身の意識の問題なのか(どちらもなのでしょうが)、東日本大震災の記憶というものは薄らいでいたというのが正直な気持ちでした。
しかし、当センターへの派遣が決まって、陸前高田に関する情報を見たり聞いたりしていくうちに、まだまだ復興とは程遠いなということを感じ、自分自身何をやるべきか?考えてみましたが・・・


農業県熊本にあっても、宇土市(うとし)は、基幹産業が農業であることから、当市の特産物である農産物で、なおかつ東北にないものといったらネーブルデコポンに代表されるかんきつ類を仮設住宅に住んでいらっしゃる方々に贈呈することで宇土市のPRにもなるし、被災された方々も喜んでいただけ、一石二鳥だと思い、自分一人ではしゃいでいました。ただ、派遣される時期が真夏の今の時期だったため、収穫時期が異なり、計画を再考する間もなく、派遣日がきて、何をすべきか妙案もなく来てしまい、陸前高田市民の皆さんや復幸応援センターの方々には本当に申し訳なく思っています。


 7月23日から、当センターの新メンバーとなったのは、久富(岡山県玉野市)君と私の2人で、最初の1週間はほとんど2人一緒に行動をしていました。陸前高田市災害ボランティアセンターで直接ボランティアに参加したり、同ボランティアセンターのスタッフとして従事しました。(7月28日のブログを参照ください。)そして、次の週になると、まつりの準備を中心にしたお手伝いでした。また、業務終了後も地元の方々との飲み二ケーションで充実した毎日を過ごさせていただきました。


そんな中で感じたのが、いろいろな支援のニーズがあり、いろいろな支援の仕方(関わり方)があるんだなということです。またその一方、支援にばっかり頼っていないで「早く自立しなければ」という意見もありました。


震災前より素晴らしい陸前高田を創りあげるには多くの人の協力が必要です。なんといっても支援の輪を広げることこそが復興を早めることに繋がるのではないかと思います。1人1人の力は、わずかでも、それが結集したら大きな力になります。ただ、その人の置かれている状況がそれぞれ違いますので、自分にできる身近なことから始めていけば良いのではないでしょうか。


月替りということもあって、本センターのメンバーも目まぐるしく交代しておりますが、7月末でベテランの百合君(八幡浜市)、新井田君(網走市)が撤退しました。それぞれ個性を発揮し、実績を残されています。非常に厳しい環境の中、各々が短い期間の中で何ができるのか、真剣に向き合い、日々取り組んでいられたと感じました。本当にお疲れ様でした。そして、8月1日から川合君(松阪市)、三品君(網走市)が新しくメンバーとして加わりました。居残り組の桑原君(関市)を中心に、復幸応援センターの今後のご活躍を祈念します。
お世話になりました。


石本尚志(熊本県宇土市