復興うごく七夕まつり

筋肉痛です…。

6日に前夜祭、7日は終日「復興うごく七夕まつり」でした。勇壮な太鼓の音と、大きな山車が被災地をめぐり、鎮魂の意を捧げました。

当センター職員も全員でお手伝いし、山車の準備・曳き手、ごみの分別処理、テント片付けなど、様々な形で関わらせていただきました。



山車を前に職員一同記念撮影(左より川合:松阪市、桑原:関市、山本:登別市、伊藤:宇土市、三品:網走市


特に、大町地区は約半数の方が被害に合ったため曳き手が少なく、一般参加を呼びかけつつ、ボランティアの方たちと一緒に我々も山車曳きに参加させていただきました。
大町には鎮魂のための卒塔婆が建てられている一角があり、山車はまずそちらへ向かい、そこで代表の方のお話と、参加者全員の黙祷を捧げました。改めて被災の影響を思い知った瞬間でした。

さて、6日の前夜祭で初めて山車を曳いたわけですが、思ったより軽く動くので油断しました。コーナーでは山車を曲げるために舵棒を押す必要があり、男性20人がかりで全力で押したわけですが…、想像以上の摩擦抵抗に合いました。2日間に渡るこの作業により、当センター職員は全員、現在筋肉痛に悩まされております。それでも何とか電信柱等への直撃は免れ、一安心しています。



山車を曳くセンター職員、撮影:三品(網走市


山車の内部では威勢の良い掛け声とともに、太鼓を叩き続ける男性陣、笛を吹き続ける女性陣が祭りを盛り上げます。この日のために戻ってきたという方も多くおられました。故郷への思いの強さ、町民すべての鎮魂の気持ちの強さ、町民の絆の深さを間近に見せていただきました。

二日間にわたって太鼓を打ち続けた彼らの手のひらは、血豆だらけでした。それに比べて自分の手はあまりにきれい過ぎ、恥ずかしい気持ちでおります。少しでも鎮魂のお役に立つことができたのであれば、センター職員一同、これほどうれしいことはありません。

北海道登別市より派遣されている山本君は、大町の山車作り作業に従事しつづけ、最後は大町の町民と同じ扱いを受けておりました。町民だけの集合写真撮影にも呼ばれ、彼のこれまでの活動と町民の皆様との関わりの深さを知ることができました。山本君の人柄によるものでしょう。



山車にのぼった山本君、撮影:伊藤(宇土市


少しの空き時間を見て、気仙町で行なわれたけんか祭りにも参加しました。山車を使った綱引きという感じでしたが、一般参加もしやすく、華やかで粋なお祭りでした。
昨年は奇跡的に残った山車1台での開催であったため、けんかはできなかったとのことでした。今年、ようやく2台でけんかできると実行委員会会長が挨拶で感慨深く語っておられました。以前は4台もの山車がけんかしたということでしたので、まだまだ復興途中であることがよくわかります。
私は岐阜県関市の桑原君とともに夜の部でけんかに参加しましたが、2回戦行い、勝者となりました。率直にうれしかったです。非常に盛り上がりました。

2日間に渡って祭りがあったわけですが、平日にも関わらず、多くの来場者に恵まれ、多くのボランティアスタッフが駆けつけ、多くの露天が出店し、多くのアーティストが会場を盛り上げてくれました。参加者全員が楽しく過ごせたのではないでしょうか。

ボランティアスタッフとお話する機会にも恵まれたのですが、被災された女性のお話を聞くと、本当に言葉が出てこない、信じられない気持ちになりました。しかし、現実です。その方は笑顔を見せてくれましたが、やはり語りつくせないご苦労があったのでしょう。心より遺族の方たちへご冥福をご祈念させていただきます。そして、率直にお話をしてくださって、本当にありがとうございました。今後、お話を大事に持ち帰り、様々な人たちに伝えていきたいです。

最後になりましたが、事務局を運営されていたスタッフの皆様、大変お世話になりました。色々とご迷惑をお掛けしたかと思います。力不足をお詫びいたします。今後も皆様のご活躍を応援させていただきます。


網走市 三品)