短期派遣を終えて

8月27日から1週間の派遣期間を終え、地元岡山県玉野市に戻ることになりました山本です。
1週間という短い期間ですが、陸前高田で過ごしたこの時間は私にとって、とても大切なものとなりました。


初日、車を運転して市街中心部へ来た時、自分がいる場所が広大な原っぱなのか、それとも津波による被災現場なのか、わからないほどの平地が広がっていました。しかし、所々に残存する被災した建物を見るにつれ、自分が立っているこの場所こそが、陸前高田の中心部、多くの犠牲を生んだ場所だということを思い知らされました。


私自身、“被災者の気持ちに寄り添いたい、被災者の目線に立って災害支援・復興支援を見つめたい”という意志と共に今回の派遣を希望させて頂き、頭の中では被災地のことを少しは理解しているつもりでいましたが、被災経験の無い私にとって、その惨状・光景は感情移入すら難しく、現実離れした光景が広がっていました。語弊があることを覚悟して言うならば、被災地についてテレビや新聞などのメディアを通してでしか見ていなかった自分は、残念なことに「他人事」として被災地を見てしまっていたのだと思います。
そんな自分自身の視野の狭さに不甲斐なさ、情けない気持ちを心底感じた初日でした。


翌日より、高寿園さんの仮設住宅への配食サービスへ同行,陸前高田ボランティアセンターにて、ボランティア活動及びスタッフとしての参加,ハローワーク等就労及び求人状況の聞き取り,被災松を利用して作成した親子地蔵の落慶法要・記念式への参加と次々に活動してまいりました。また、派遣中の宿泊地である生出町内会の方々との交流を含め、毎日多くの陸前高田の方々と触れ合う時間を得ることが出来ました。哀しみ、涙、笑い、苛立ち、喜び、怒り、不安・・・それぞれの感情の背景には被災という現実があり、その中で懸命に生きる姿、自分自身の役割を見極めて突っ走る人々の姿を目の当たりにしました。たった1週間ではありますが、それらの活動を通して、陸前高田に来なければ絶対に感じることが出来なかったこと、学べなかったことが沢山ありました。


最終日、復幸応援センターでの最後の活動を終え、初日に“ただ茫然と眺めた”市街中心部へ再度足を運びました。そこで自分の目の前に広がる光景は、初日に見た光景とは確かに異なり、悲しみを始めとした多くの感情が入り混じる光景として私の目に映りました。初日には「現実離れした光景」にしか見えなかったそれらは、今自分の前に「現実」として存在していました。この見え方の変化こそが、この1週間で得た私自身の財産だと思います。もう決して他人事ではありません。陸前高田の方、復興支援のため遠くから陸前高田を訪れている方、復幸応援センターの職員の方、日本・世界中の被災地支援者と心を共にし、この町の復興のため自分に出来ることを探したいと思いました。


短い期間ではありましたが、関わって頂いた多くの方々、ありがとうございました。皆さんの笑顔、優しさ、厳しさ、辛さを心に留め、これから業務に励んでいきたいと思います。


最後に復幸応援センターでお世話になった、川合さん(松阪市)、三品さん(網走市)、桑原さん(関市)、半田さん(茅ヶ崎市)、過ごせた時間は良い時間ばかりでした。陸前高田を介して仲間となった皆さんと出会えたことも大きな僕の財産です。
観光物産協会の松本さん、村上製材所の方々、矢作小学校の先生方、ボランティアセンターの方々、ありがとうございました。これからも復幸応援センターをよろしくお願いします。



ありがとう陸前高田、必ずまた来ます。共に復興を目指す仲間として、岡山より応援しております。
山本 貴之(岡山県玉野市