気仙町今泉での出会い

 18日の日曜日に、前日の「いわて復興支援シンポジウム」でパネリストを務めた菅野剛さんの故郷、気仙町今泉地区を訪れました。実は1週間前にもお邪魔したのですが、その日は、東北三十六不動尊霊場会主催による東北大震災犠牲者慰霊と復興祈願の火渡り法要という大きな行事があった日で、菅野さんともしばらく立ち話をしただけで、「また、ゆっくりと来ます」とお別れしました。
 今泉地区は、津波で流された金剛寺の裏山に9戸の仮設住宅とかろうじて残された数軒の家があるだけで、そこに立っていると凄惨な津波の脅威を感じずにいられません。

 朝の静けさの中、金剛寺で僅かに残された気仙成田山をお参りし、その高台から、地元の人たちが津波の襲来を目の当たりにした半年前の日のことを想像しながら目前の高田の松原を望んでいると、それに気づいたか菅野さんが登ってきてくれました。菅野さんとお話をするのは、これで3度目です。この人が何を言いたいか、それが少しは分かってきたような気がします。
 前日のシンポジウムのことを契機に、若者の郷土への思いや定住・Uターンのこと、街をどこからどうやって興していくのかなど、いろいろなお考えを聞かせていただきました。とにかく、自分たちの力で…やれることから…その力強い言葉を噛みしめながら、私も確かにそうだと思い、自分の無力さを恥じながら心の奥で小さなエールを送りました。

 その後、菅野さんのアドバイスを参考に、地区内を少し散策してみました。最初に出会ったのが、仮設住宅の真裏で街を見守っている弘法大師さまでした。そこは、金剛寺さんの四国霊場八十八箇所の御砂踏み場で、当然ながら我が故郷・川之江にある第六十五番札所・三角寺さんも名を連ねていました。我が家を後にしてまだ1カ月足らずですが、妙な郷愁の念にかられるとともに、幾ばくかのご縁も感じました。

 散策する間に、畑を耕したり、草刈をしたり、片づけをしたりする住民の皆さんとの世間話を通じ、気仙の方たちの温かさに触れることができました。話をしながら、菅野さんが繰り返し言う「8年も待てない!」という言葉が頭に浮かびました。私がこのまちにいる僅かな期間に、或いは四国へ帰ったのちも、力不足ながら何かお役に立てればいいなと思いながら今泉地区を後にし、昼の食材を仕入れにスーパーへと向かいました。
 翌日の敬老の日は、大船渡市のリアスホールで、陸前高田市参与の渡辺美樹さんが主役の「みんなの夢シンポジウム」があり、大船渡へ出かけました。自らの体験談を中心に夢について語る渡辺参与の言葉と、先祖代々守ってきた故郷で足元を踏み締めながら一歩ずつ前へ進もうとする菅野さんの力強い言葉を頭の中でオーバーラップさせながら、なかなか答えの出ない「まちづくりとは?」という問いを何度も自分に投げかけてみました。
大西賢治四国中央市